2002年5月更新

 
  岡部六弥太の墓(岡部町)
  水谷勇三
   

 岡部六弥太忠澄は南部を所領した猪俣党に属し、源頼朝の家臣として保元・平治の乱で勇名をはせた。特に源平一ノ谷合戦では熊谷直実などと先陣を争い、平薩摩守忠度を討ちとって有名になった。  

  忠度は後世タダ乗りに通じるところから、切符のキセルの別称として不名誉な呼ばれ方をされるようになった。当時の合戦では名を名乗らず、懐中の辞世によって忠度と分かったものの、討った忠澄も忠度とは気が付かなかった。  

  岡部六弥太の墓は、普済寺近くの畑の中にある。六弥太を中心に父・行忠、夫人・玉 の井(畠山重忠の妹)と並んでいるが、真ん中の六弥太の墓だけが変形が著しい。

  これは、昔から岡部地方に六弥太の墓石の粉を煎じて飲むと「子なき女は子を得、乳の出ない女は乳を得る。」との言い伝えがあるため、こっそり墓石を削る人がいるためだ。

 

 
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