むかしむかし、大滝村の栃本という部落に、立派な観音さまを持っている家があった。小さいながら良いお顔をしていて、家の人はそれはそれは大切にしていた。家の前は荒川の源流、ある日物凄い嵐があって、家やら何もかも流され、当然あの観音さまも流失し、遠く浅草まで流れ込んだ。
場面は変わって、桧前浜成・竹成という漁師の兄弟が推古天皇36年(628年)宮古川(現在の隅田川)で漁をしていたが、魚はとれず、網の中に小さな観音さまが光を放っていた。当地の豪族であった土師直中知に相談して、堂宇に祀ったのが浅草寺の始まりといわれている。
舒明天皇の御世(629〜641年)の正月浅草寺を焼失したが、観音像のみは飛び出し木の梢に止まった。天長年間(824〜834年)慈覚大師が巡錫し、伽藍を再建した。江戸の人口が増加するとともに浅草は観光名所として殷賑を極めた。
浅草寺、千年の物語(毎日新聞)
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