明治の初期、この地方に清水宗徳(しみずそうとく、1843〜1909)という方がおられ、国会議員として活躍される一方、蚕業の振興などに尽力された。
明治28年、国分寺・川越間に川越鉄道が開通し、入間川駅が設けられたが、清水宗徳は入間川駅を起点として入間川・飯能間に路面
にレールを敷き馬車を走らせた。入間馬車鉄道の開業である。
そののどかな風景は想像するしかないが、最盛期には馬力28頭を擁し、馬糞は肥料として沿線の農家に売却されたという。
清水宗徳の墓は狭山市街から入間川を渡った丘の上にあるが、その墓は2本のレールをまたいで建っている。入間馬車鉄道の使用していたレールである。
日露戦争による軍馬徴用により動力化を待たずに廃業となった。たった15年間とはいえ、この地の発展に果
たした役割は大きい。