2006.8.20

 
  原善三郎と三渓園(神川町)
  水谷勇三
   

  
 原善三郎は文政10年旧渡瀬村の旧家に生まれ、機業家へ生糸を売買していた。秩父絹糸を横浜へ売り込むことになり、文久2年の末には横浜の小料理屋を買い取り、居留外国人の仲買人として開店。横浜のリーダーとして活躍する素地を作った。
 原善三郎は激しい競争に打ち勝ち、横浜第一の生糸売込商に成長していった。売り込みは少数の巨大売込商に集中していったが、明治6年取扱量 の74%を上位5人が占め、その中に原は名を連ねている。後第2国立銀行の頭取として金融界、明治35年には埼玉 県選出の衆議院議員として中央政界でも重きを成すに到った。
 横浜経済のリーダーとなった原善三郎が本牧に買収した土地に養嗣子の原富太郎が私財を投じて大庭園に造り上げた。この庭園は三つの渓を持つところから、三渓園と名づけられ、富太郎自身も自ら原三渓と称した。三渓園は横浜の桜の名所として名高い。

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